利尻島【Photoでみる観光スポット(野塚展望台)】

【鴛泊エリアを一望できる野塚展望台】

野塚展望台を紹介する際に必ずと言って登場する外国人がいる。それは一人のアメリカ青年だ。彼については1848年まで歴史をさかのぼることになる。彼の名前は『ラナルド・マクドナルド』、今から170年以上前の鎖国の時代にこの青年はアメリカの捕鯨船が日本近郊にまで進出した頃、難破を装い利尻島に上陸をしたのである。(天売・焼尻にも上陸している)

【地元ロータリークラブによって建てられたラナルド・マクドナルドの碑】

その時の記録が現在ブリティッシュ・コロンビア州立文書館に所蔵されていて、かいつまんで紹介したい。

≪中略≫「はじめて上陸したこの土地(野塚)で約10日間、好意にみちた拘束とよんでもいいような状態で滞在し、ごく近辺をぶらぶら散策する特権を与えられた」とあり、「清潔の場所でごちそうが与えられ、親切な世話をうけた」との記載があることから、彼が想像した以上に大切に扱われたのが伺える。

それ以外にも当時の利尻島の文化や、風習など外国人の視点で書かれており、かなり興味深い。

またそれ以上に驚いたのは、彼は利尻島での密入国の取り調べ後に、松前へ、そして最終的には九州の長崎の地まで移送されたのち、日本で初の英語教師となった事である。その生徒の一人として、のちにペリー来航時の通訳を務めた森山栄之助が有名だ。

さて、個人的には彼の人柄もあると思うのだが、先述した通り、彼を大切に扱った日本人に対して、彼は日本ファンとなり、帰国後も日本をこよなく愛し、彼の息を引き取る間際の姪にむけた言葉が、 「SA-YO-NA-RA my dear」さよなら、私の愛しい人よ。と日本語の“さよなら”を使ったのだ。現在、アメリカにある彼の石碑にはその言葉が刻まれている。

【ラナルド・マクドナルド肖像】

いずれにせよ、この彼のおかげで現在でも時を超えて、利尻島との交流は続いている。一例だが、彼の故郷であるアメリカのアストリア市へ、高校生を短期留学交流を行い、Friends of MacDonaldという現地団体との交流を通して“絆”を大切にしている。

【野塚展望台からの利尻山】